いじめで死にたくなるような日々を克服 - 中学生の時の体験談。

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寄稿者:新馬(20代前半・フリーランス・♀)

どうも、新馬と申します。仲良しだった友人から受けたいじめにより、誰一人として信じられなくなりました。

中学生の13歳から15歳まで隠れるように引きこもり、死にたくなるような日々。私と同じように友人関係で悩んでいる人々と、痛みを共有したいと思います。

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女の子グループのめんどくささ

私は小学生の頃から、もともと目立つタイプのガキ大将で、恐れるものはなにもありませんでした。

中学校に入学式してもすぐに友人ができ、私のいるグループは7人でした。私たちは何をするにも一緒で、毎日ハイテンションで過ごしていました。

そんなある時、一人の子が同じグループの子の陰口を言い始めました。またある時は、その子がもう一人の子の陰口を言うように。

まさにその日その日で嫌う対象を決めているようでした。でもはたから見たら仲良しグループなのです。私はだんだんばからしくなってきました。

一人ぼっちになるのが嫌で、グループを組みましたが、話を合わせるのに疲れてしまったのです。

友達からの無視、いじめがはじまった

私は陰口を言い合っているのに、仲良しこよしのふりをするのに嫌気がさし、あからさまに態度にだしてしまったのです。

それがきっかけでした…。

どんどんみんなの態度が変わっていき、それまで私がネタをいうと、それに賛同しキャッキャと笑ってくれていたのが、微妙な反応。

授業で二人組を作らなければいけない時、7人中私だけを除いて各々二人組をつくり、私は最終的に先生と組まねばなりませんでした。

それからだんだんとエスカレートしていき、ついに無視され始めました。

それも私の近くにわざわざ来て、私はそこにいないかのように振る舞うのです。私たちのグループ以外の、今までカースト下位と見下していたの子たちの視線が、ひどく痛かったのを覚えています。

相談しても、頼りない先生だったため、どうすることもできず、とうとう私は学校に居場所をなくしてしまいました。

私はそれまで誰かに嫌われて嫌な思いをしたことがなかったため、いじめられる側の気持ちが全くわかりませんでした。

いざ自分がそうなると、こんなにも辛いのかと改めて理解し、今までのギャップで混乱していました。

ガキ大将からいじめられる側になるのは屈辱的。一ヶ月間もの間無視と嫌がらせに耐えましたが、ついに心がポキっと折れてしまいました。

もう、学校に行きたくない!!私は不登校になりました。

いじめられていることを両親に伝えた

私はそれから二年生になるまで学校を休み続けました。休み始めた最初の頃は、休む理由を仮病をつかってごまかしていました。

毎朝、嘘をつかなければいけないのも耐えられませんでした。ついに本当の理由を両親に話す時がきました。

一番辛かったことは両親に、自分がいじめを受けていることをきちんと話すことでした。いじめられているという事実を自ら認めなくてはいけないからです。

心の傷と直面し、自分の自尊心を保てないことがストレスで、初めて大泣きしました。自分の弱いところを見せたくありませんでした。

全てを打ち明けたら、優しい両親は、もう学校に行かなくてもいいよと言ってくれました。

それから毎日空虚にゲーム、ネットの日々。私は将来のことを心配し始めました。

「二年生になったら、学校いってみようかな…。」

と両親に話すと、すごく喜んでくれました。その顔が嬉しくて、新学期になったら学校へ行くことを決意しました。

新学期がはじまるまでずっとドキドキして、不安な気持ちになったりもしました。どうか新たな一年は、平穏にと神様に願ったりしてそわそわして過ごしました。

死ねという手紙をもらう

4月、新たな気持ちで学校へ行くとあのグループとはみんな別々のクラスになりました。

ドキドキしていましたが、新しいクラスの子達はいいこばかりでした。これなら毎日楽しくなりそうだぞ、と思っていました。

ですが、そんなのは幻想でした。甘かったのです。

二ヶ月ほど経ち、新たなクラスに慣れてきた頃、私の下駄箱に入っていた上履きに、砂がびっしりとつまっていました。

その砂をどけると、ぱたっと白い手紙が落ちてきました。中を覗くと、定規で線を引いたような犯行声明文が書かれていました。

「お前なんか死んでしまえ。誰もお前を友達と思っていないんだよ。」

私は手紙の送り主の思惑通り、誰も信用できなくなりました。こんな幼稚で短い文章でも、簡単に人の心がズタズタに傷つけられることを知りました。

もう学校にも行きたくないし、私死にたい…。

まんまとその手紙で絶望し、また学校へ行かない日々がはじまったのです。それから一年間は買い物に行くのにも両親に頼んだりして、極力外へ出るのを拒みました。

ただ、もともと家族と仲が良かった私は、家の中では部屋の中へ閉じこもることはせずに済みました。

両親も私にたくさん愛情を注いでくれました。私の心の傷を癒そうと必死になって頑張ってくれていました。

そのおかげで、またあの時のような新鮮な気持ちで、また学校へ行くことを考え始めました。

私はいじめっ子を見返した!

三年生になり、私はいろんなことが吹っ切れました。いい子でいること、気を使うことをやめました。本来の自分に戻ったのです。

いじめてきたあいつらを見返すために、あいつらができないでいることを、これ見よがしにたくさんしました。

例えば髪を染めること。校則違反なのでもちろん茶髪は許されていませんが、先生たちは私に特別待遇をしてくれました。

先生たちはあのとき、いじめを見て見ぬ振りをしたのだから当然です。その申し訳ない気持ちを利用させてもらいました。

服装も乱れ、髪もバンバンに盛って、ピアスもつけて、授業も出ず、毎日遊びに学校へいっているようなものでした。

私のいる保健室へ、同じようにクラスに馴染めない子たちが集うようになりました。居心地の良い自分の居場所をやっと見つけることができました。

久々のコミュニケーションをとることもすごく楽しくて、これまでのストレスを一気に取り去った感じでした。

養護教諭の先生は、授業を受け持つ先生とは違い、フランクに接してくれました。そのまま卒業までは、自分の休みたい時に休み、行きたい時に学校にいきました。

いじめられて学んだこと

これまでいじめられたことのない人が、急にみんなに嫌われると、対処の方法がわからずにくじけてしまいます。すると死にたいと思うほど絶望的な感情に陥ることも。

私の場合は運が良かったのか、優しい両親に恵まれ、中学三年生になれば気取らなくても接することができる、良い仲間ができました。それがいじめを克服することに繋がりました。

なぜそうなれたのか?

自己分析をすると、もともと自分が強い心を持っていて、芯までは壊されずに済んだこと。そして本来、私は人と関わることが大好きだったということです。

今いじめに悩んでいたり、人に合わせてくすぶっているひとは、まず自分の殻を壊し、人にどんどん弱いところを見せていくことが大事だと思います。

そして気負わず楽な道を作ること。この文章を読んだ方が、少しでも心が軽くなってもらえたら幸いです。

-いじめ

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